禅(ZEN)でひといき。

LIGHT WORKS WEB Magazine コラム:禅(ZEN)でひといき。

古くはインドから中国、そして日本へと渡ってきた禅宗。禅としても知られる仏教の一宗(いっしゅう)です。臨済宗や曹洞宗などたくさんの宗派に細分化されています。そうして日本で確立されてきた禅は、1900年前後から海外にも着々と広められ、確実にその支持者を増やし、アメリカ西海岸では1960年代に始まるブームによって、禅が人々の生活の中に(アメリカ的な解釈を加えながら)浸透していったそうです。

そして近年、禅修行の一つである「坐禅」が瞑想の一つとして、ますます注目されている禅(ZEN)。禅はもともと「禅那」といいサンスクリット語が語源とされています。意味は「静慮」。ただしこれだけでは適当な訳ではないため、「禅」が通り名として使われています。禅那は心統一の因(いん)といわれ、坐ることによって身・息・心を統一する、または統一しつつある状態が坐禅であるとされています。

 

坐禅の目的とは

ふー・・・ちょっと堅苦しいですかね笑。
禅の修行の一つである「坐禅」。今回はこの坐禅に焦点をあててみます。坐禅は瞑想の一つとも言われますが、もう少し的確なイメージでいうと「人間の営みを一時的に止めること」とされます。

今やっていることをすべて止めて、ともかくまずは坐ってみる。正しい坐禅のやり方については、また別の機会にご紹介できればと思いますが、坐禅によって、日々のあわただしい生活を一時停止することが大事なんですね。
“坐ることによって身・息・心を統一し、または統一しつつある状態“すなわち、坐禅は寝ているのでも、考えているのでもない状態。命が純粋に燃えている、今生きていることをじっと見つめて味わう時間です。その状態を保つことが、人生に深みや喜びをもたらしてくれるとされます。

「意識の中にある自分の存在だけが私、と思い込んでいると偏った人生になる」というのが仏教の教えだそうです。自分という意識にかんじがらめになるのではなく、楽に坐って心と体を解放すること。感覚を鋭くし、深く繊細に、きめ細やかに様々なことを味わい、感じられるようになるのが坐禅の目的です。

LIGHT WORKS WEB Magazine コラム:禅(ZEN)でひといき。

 

マインドフルネスと禅

以前こちらの記事で「マインドフルネス」について取り上げましたが、感覚としてはとてもよく似ています。というより、言い方ややり方が違うだけで中身はあまり変わりがない、ともされているようです。禅は基本的にすべての体の動きを止めて、坐ることで深い瞑想状態になることなのですが、深い瞑想状態であれば体を動かしていても禅である、というふうな捉え方ができるかもしれません。

 

あわてない、あわてない。

食事をしていてもスマホを見ないと気がすまない、電車に乗ったとたんスマホを開く、移動していても音楽をきいて・・・。とにかく常に何かしていないと落ち着かない、不安になる、そんなライフスタイルが加速していく現代に生きていると、どんどん追い詰められているような気がしませんか。
今の若い人は知らないかもしれませんが、禅問答でも有名な「一休さん」(昔の人気アニメです)。一休さんの名言ともいえるセリフに「あわてない、あわてない。ひとやすみ、ひとやすみ」というものがあります。これ、まさに禅の言葉なんですよね笑。
禅を取り入れた生活で、穏やかに自分を親しむ時間を作ってみませんか。

 

この記事の著者
著者:石見幸子プロフィール画像

Sachiko(さちこ)

フリーランスのWEBディレクター/ライター
美容、コスメ、ファッション、健康食品など女性向けサイトの制作や運営に多数たずさわる。興味を持ったことは何でもトライして、浅く広く楽しむタイプ。好きなものはお酒、食べること全般、旅、音楽、アート、読書、映画、ゲーム、ジム通い。

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