桜をテキストで楽しんでみませんか
気づけばもう3月。つい口グセのように言ってしまいますけど、ほんとに「あっ」という間。光陰矢の如し、とはこのことか・・・!と実感する季節が巡ってまいりました。桜の開花予想も出て、今年のお花見はどこへ行こうか、誰と行こうかと計画している人も多いのではないでしょうか。
今も昔も桜は日本の風流を代表する花。例年どおり気の合う友だちや仲間とワイワイ、桜の木の下で宴会も楽しいですが、それにプラスして、今年は少し違った角度で桜を楽しんでみるのはどうでしょうか。
桜のテキストで風雅な春の景色を
平安時代の貴族や僧などの文化人にも愛された桜は、短歌や俳句といった「書かかれたもの(=テキスト)」としてその形が残されました。もちろん現代でも、例えば桜をモチーフに出会いと別れを歌ったような音楽(ポップス)はあります。
ただ昔の短歌や文学の中に出てくる、桜のテキストは今のものと違ってどこか俗世を超えた世界観、何か超越したものを感じさせてくれるんですね。時間の流れ方が違う、というのも大きいと思います。桜のテキストを読んで、季節のうつろいや無常観、生命の強さはかなさを想うのもまた、風雅な春の景色なのだろうと思います。
百人一首より
学生時代にテスト勉強で覚えたな~!という人も多そうな、懐かしの百人一首から2首選んでみました。まずはこちら。
もろともに あはれとも思へ山桜 花よりほかに 知る人もなし (前大僧正行尊)
<意味>
私がお前を愛しむようにお前も私を愛しく思ってくれ、山桜よ。こんな山奥ではお前以外私を知るものはいないのだから。
作者の行尊は修験道の行者として山奥で厳しい修行をしていたそうです。孤独に過ごす日々、人のいない静かな山奥で見かけた桜はさぞかし美しかっただろうなと想像しました。思わず話しかけたり、歌を詠んでしまう情景が山桜のふんわりと柔らかなイメージと相まって浮かびます。
お次はこちら。
久方の 光のどけき春の日に しづこころなく 花の散るらむ (紀貫之)
<意味>
日の光がこんなにのどかにさしている春の日に、どうして桜の花は落ち着かなげに散っているのだろうか。
有名(?)な歌ですね。詠み人は「土佐日記」の作者でもある紀貫之。日の光ののどかさ(静)と早急に花が散るさま(動)のコントラストの美しさが、名歌と呼ばれるゆえんです。そしてその中にたたずみ、見ているだけしかできない自分という視点が、なんとも言えない無常観を紡ぎ出しています。
短歌は文字表現ですが、どちらもまるで1枚の絵をみているようでもあります。百人一首は学生の頃より、意味や趣がより深くわかるようになった今読むほうが断然面白いと思うようになりました。今年の花見は、もちろんみんなでワイワイと宴会も楽しみつつも、たまには一人になって、桜のテキストを読みながらのんびり物思いにふけるのもおススメです。
Sachiko(さちこ)
フリーランスのWEBディレクター/ライター
美容、コスメ、ファッション、健康食品など女性向けサイトの制作や運営に多数たずさわる。興味を持ったことは何でもトライして、浅く広く楽しむタイプ。好きなものはお酒、食べること全般、旅、音楽、アート、読書、映画、ゲーム、ジム通い。