【インタビュー】女優 南さやさん~「演技」を通して「真実」を伝えるという使命を胸に
ライトワークスWEBマガジンでは、毎月、ヒーラーやセラピスト、アーティストなど、“ライトワーカー”として輝く女性たちをインタビュー記事としてご紹介してまいります。彼女たちの人生を変えたターニングポイント(セカンドバースデー)とは? 各々のストーリーの内にあなたはきっと、あなた自身の人生を開く「魔法の鍵」を見つけることでしょう……。
今月のゲストは、オーストラリアを拠点に活躍する映画女優の南さやさんです。8年間にわたるキャリアOL時代を経て、交通事故による意識不明の重体から目覚めた彼女。遠い記憶に響くディジュリドゥの音色を手繰り寄せるように辿り着いたオーストラリア、最東端の海の町、バイロンベイで彼女を待っていたのは、海外での役者デビューというまったく新しい人生でした。
交通事故で骨盤骨折
危篤状態からの目覚めと仕事と
micosundari: 昨年はハワイ国際映画祭での主演映画『Midori in Hawaii』ベスト・ストーリー賞ノミネート、そして今年、韓国国際外国語映画祭(Korea International Expat Film Festival)でのベスト長編映画賞受賞おめでとうございます! こうしたグローバルな女優としての活動は小さなころからの夢だったのでしょうか?
Saya: ありがとうございます。実は、本格的にアクティング(演技)に目覚めたのは、2012年以降、ここオーストラリアのバイロンベイに移住してきてからなんです。
micosundari: 今の女優としての扉が開かれたきっかけは?。
Saya: 2008年7月のこと、休暇で訪れた江の島で大事故に遭い、大型バイクに跳ねられたのが大きな転機でした。骨盤が真っ二つに割れてしまい、気が付くと集中治療室。2カ月半はベッドから動くこともできませんでした。
micosundari: 骨盤骨折!それはほんとうに重体ですよ!
Saya: もしかしたら、事故直前に、江の島の弁財天にお参りしに行ったことで、守られたのかもしれません。医師からも「生きていること自体が奇跡」と言われています。当時、インターネットコンテンツビジネスの会社で、いわゆる「着うた」等の事業開発の指揮にたずさわり、ものすごいスピードのネット業界で四六時中、あわただしく働いていました。なによりもショックだったのは、危篤状態から目覚めた後すぐに頭にあったのが仕事のことだったということ。そこではじめて「自分の人生ってなんだろう」と、真剣に考えるようになりました。
micosundari: それから豪州、最東端の海の町、バイロンベイへ移住するわけですが。オーストラリアの中でもどうしてこちらの街に?
Saya: 以前から海外生活には憧れていたのですが、もともと音楽が大好きな私は、以前、現地に滞在していたことのある友人から、バイロンベイは町じゅうに音楽が溢れるすてきな町だと聞いたことがあって。それと、バイロン出身のディヒュリデュのアーティストが好きだったのが理由で、なんのコネクションもないまま、導かれるようにやってきたのがこの町だったんです。
micosundari: アートの町の磁力がSayaさんの中に眠るクリエイティビティを触発したのかもしれませんね。
Saya: 直接的なきっかけは、2012年、たまたま隣人から、町でアクティング(演技)の体験ワーククラスがあると聞いて、参加したことでした。実は高校時代にもたまたまスカウトされるがままに、バラエティ番組に出演していたことがあるのですが。当時は演技とはなにか? といったこともわかっていませんでした。単に子どもだったんですね(笑)。バイロンでワークに参加したさい、はじめてお芝居の楽しさ、しいて言うならば、演技することがいかに自分にとって自然な行為であるか、ということを実感しました。それからは、はからずも演劇・映画関係、テレビ局関係者と頻繁に出逢うようになっていったんです。自分のあるべき方向に意識を向けた瞬間、道はおのずと開かれるといいますが、まさにその通りなんですね。
見えない力に動かされる時
声なき人たちの代弁者としての役者
micosundari: この頃から、俳優活動と並行して、現地での日本震災復興支援や地元での環境保護運動に盛んに参加・企画されるようになっていったわけですが、こちらの活動についても聞かせてください。
Saya: わたしがオーストラリアに移り住み、向こうの生活にも慣れてきた2011年、東日本大震災が起こりました。あの津波の映像をテレビで見て、あまりの衝撃に「現実」として理解できないでいた折、地元のオーストラリア人の友人から口々に「日本の原発事故は大丈夫なのか?」と聞かれ、正気に戻って、とにかく必死にネットで災害状況を調べはじめました。
micosundari: 日本と海外では報道内容にも大きな差があるのではないでしょうか?
Saya: まったくその通りです。日本のテレビや新聞では「問題はない」「健康に害はない」と報道していますが、海外のより客観的で冷静な視点では、チェルノブイリ以上の危険性があると判断されています。離れていても自分にできることはなんだろう? と考え抜いた結果、まず優先してやるべきことは、被災地、特に福島の子どもたちの保養だと感じました。
micosundari: これまでの成果は?
Saya: 具体的には現地の友人と協力して主催したチャリティイベント、”Concert for Japan”。こちらでは当日、約270万円を集め、福島の父母の皆さんが立上げた「子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク」へ、残りの半分を「四万十塾」という石巻で津波被災地の支援活動をされている団体に送りました。その後も、Bridge to Fukushimaプロジェクトでは$2,065(約163,135円)を、シドニーの保養プロジェクトThe JCS Rainbow Project (Rainbow Stay Project) に。今年は$1,867(約147,493円)を、福島NPO法人の青空保育たけのこに寄付しました。ただ、募金をすること、また、集まった金額を「成果」と考えることには抵抗があります。それらはあくまで履歴としてあるだけです。今後、子どもたちが真に安心して暮らせる場が提供できることが、ほんとうの意味での成果となり得るものだと思っています。
micosundari: 一歩、一歩ですね。まずは日豪ともに現地で協力してくれる友人たちがいることはほんとうにありがたいことです。今後の活動の展望は?
Saya: 震災から5年半経った現在、これまでの単純な募金活動だけでは、正直、継続的で根本的な支援、問題解決はむずかしいと考えています。これからは少しずつではありますが、私自身は役者としての仕事を通し、より広く、福島と日本の現実を伝えていきたいと思っています。また、国内外の同じ想いを持つ仲間たちと繋がり、心をひとつにしながらも、それぞれが自分のやり方・表現方法で、今の日本が抱えるこの大きな問題への解決に向けたポジティブな活動を、みんなで取り組んでいきたいと思っています。
micosundari: 現在、進行中の企画があれば聞かせてください。
Saya: 一つのプロジェクトとして、現在、オーストラリアのプロデューサー・脚本家と協力して、ショートフィルム「Good Future Island」を制作中です。物語は福島原発で被害にあい、甲状腺がんになった男の子ヒロが、バイロンベイの叔母のサエコのところに保養に来るところからはじまります。
micosundari: 実にタイムリーでリアルな視点ですね。
Saya: こちらではドキュメンタリーというスタイルではなく、事実関係を入念にリサーチしたうえで、敢えてストーリーにすることにより、より鮮烈に心情にうったえかけられるものを目指しています。この映画を通して、福島原発事故で現実に被害にあっている人々の現状を伝えるとともに、得た収益は福島の子どもたちの保養のために活かしたいと思っています。
micosundari: 昔から、地底に数キロにわたる巨大なクリスタルが埋まっていると言い伝えられ、アボリジニの女性たちが出産のさいに還ってきたとされる聖地、バイロン・ベイ。Sayaさんがこちらに導かれてきたのも、役者としての個人の成功を超え、むしろ、その使命を通じて、多くの子どもたちの母となり得るような、より社会的、大きな役割をまかされているからかもしれませんね。
Saya: 今でも、女優と呼ばれると気恥ずかしいくらいですし、わたし一人ではなにもできません。けれども、確かに感じていることは、なにか目に見えない、大きな存在に動かされているということ。演技を通して、日本じゅう、世界じゅうの同志をつなぎ、この人生をかけて、多くの人たちの声にならない真実の声を代弁できるような役者になれたらこの上ありません。
今回のゲスト: 南 さや(Saya Minami)
オーストラリア・バイロンベイ を拠点に活動する役者、活動家。
東京で生まれ育ち、オーストラリア在住歴7年。
オーストラリアにていくつかの長編映画・短編映画に出演。
2014年にはハワイで撮影されたアメリカの映画、”Midori in Hawaii”の主役としてMidoriを演じ、本作品は2015年のハワイ国際映画祭にて、最優秀物語賞にノミネートされ、今年2016年には韓国Expat国際映画祭にて最優秀長編映画賞を受賞。
WEB│ http://www.starnow.com.au/sayaminami
micosundari
これまでにライターとして、月刊誌や書籍にて、代替医療、ヨガ、レイキ、音楽療法、星占術等のテーマを数多く担当。医療関係者や療法家、学者、芸能人など数多くの著名人に取材・インタビューを重ねる。
現在は、多岐にわたる取材経験をもとに、全国でバクティヨガ、ナダヨガ(音ヨガ)、歌うヨガと呼ばれるキルタンのワークショップ&リトリートを展開。「文」と「声」2つのフォースを通して、ホリスティックな視点から、エンライトメント・ヒーリングメソッドをシェアし続けている。この「両の手」「声」「身体」「魂」のすべてがいつでも純粋なバクティ(愛)の体現としてこの世界、あなたのハートの内に還元されますよう。