【インタビュー】クリスタル作家 日高綾さん「ヒマラヤ水晶に導かれて~指先から宇宙が降ろされる瞬間」
ライトワークスWEBマガジンでは、毎月、ヒーラーやセラピスト、アーティストなど、“ライトワーカー”として輝く女性たちをインタビュー記事としてご紹介してまいります。彼女たちの人生を変えたターニングポイント(セカンドバースデー)とは? 各々のストーリーの内にあなたはきっと、あなた自身の人生を開く「魔法の鍵」を見つけることでしょう……。
今月ご紹介するライトワーカーは、石の響きを聴きながら大地の恵みをペンダントとして届ける、マクラメ&クリスタル作家、Sernya(セルニャ)の日高綾さん。油彩画家を目指していた綾さんは、ヒマラヤの旅を通して出逢ったガネーシュ・ヒマールクリスタルに導かれ、新たな人生の扉を開きます。受験という、比べ、比べられるという二元性の世界から解放された彼女は、より自由で広大な魂の泉へと漕ぎ出したのでした。
受験という競争社会から
無限の創造世界へ
micosundari: 自然のぬくもりが感じられるアクセサリーとして、今でこそ大人気のマクラメジュエリーですが、綾さんがアクセサリー作家として活動をはじめたのはいつ頃のことでしょう?
綾: Sernya※として、屋号を決めて本格的に制作をはじめたのは2002年のことです。
micosundari: なんと、今年でもう14年目! 石との絆あってこそのお仕事ですね。
綾: おかげさまで、マクラメのご縁がご縁を結んで、この道を歩き続けさせていただいています。
micosundari: クリスタルの道に進むきっかけも順調な流れだったのでしょうか?
綾: それが紆余曲折ありまして、子どものころから絵を描くことが大好きだったわたしは、学生時代はもともと油彩画家になりたかったんです。
micosundari: 当時はどんな生活をしていましたか?
綾: 高校時代は東京藝大を目指し、毎日、始業時間よりもはやく登校して早朝の美術室でデッサンの勉強をしているような生徒でした。ご存じのように藝大はとても狭き門。現役では合格できず、夢を諦めきれなかったわたしは高校卒業後も3年間、浪人生活を続けました。
micosundari: 藝大浪人というのは、決して珍しいことではありませんが、やはり、何年もにわたる受験生活はたいへんなプレッシャーだったのではないでしょうか?
綾: そうですね。最初の1年目〜2年目というのは同じ道を志す予備校の仲間と励ましあって、前向きに過ごせていましたが、3年目にもなると、次々と同期の進路が決まっていき、「おいてけぼり感」がつのりました。また、芸術という正解のない表現を磨いているはずなのに、つねに比較の秤にかけられることで、自分のアイデンティティそのものが揺らいでいくのを感じて苦しかった。
micosundari: そこからの転期はどのように訪れたのでしょう?
綾: 現役時代をあわせて4年目のチャレンジで肉体的にも精神的にも限界を感じたわたしは、自分にとっての最後の受験が終わった後、世界、とくにアジア、インドネシア(バリ)、タイ、ネパールを中心に旅をはじめました。
micosundari: 新しい風を感じることが必要だったのでしょうね。
綾: はい。それまで何年もの間、藝大という一つの門(目的)を目指し、逆算的、直線的に動いていた時間軸から解放され、ただ有機的な流れ、「いまここ感」のうちに、自身のインスピレーションがリチャージされていくのを体感しました。
仕事を通して魂とつながる
作品づくりという“瞑想時間”
micosundari: Sernyaの作品では、特に透明なクオーツクリスタル、ガネーシュ・ヒマールが多く用いられていますが、この石の魅力とは?
綾: ガネーシュ・ヒマールというのは、ネパールとチベットとの国境に位置するガネーシュ・ヒマール山産出の水晶のこと。わたしが出逢ったのは2006年のことでした。ひと目見て、手に触れた瞬間、神性なヒマラヤの山のエネルギーがそのまま結晶化したような、内側からの力強い光に衝撃を受けました。前述の通り、クリスタルジュエリーの制作自体は、その数年前よりはじめていましたが、この水晶との出逢いは作品にスピリットを与えてくれました。そこから、Sernyaのペンダントは、「アクセサリー」から「お守り」という意味あいが増したように想う。
micosundari: 石を仕入れるさいはいつも現地に赴いてセレクトしているのでしょうか?
綾: はい。定期的にインドのジャイプールをはじめ、石の聖地に通って、一点、一点、触れあいながら、直接、自分でセレクトしています。
micosundari: クリスタルの響きをそっと揺りかごで包み込むような、やさしくも独創的なデザインを編まれる綾さんですが、マクラメの師は? また、ふだん、どんな気持ちで、作品と向きあっているのでしょう?
綾: マクラメ、アクセサリー作りは独学です。最初は本を見たり、あとは実際に触れながら新しい方向が見えてきたり。作品を編んでいるときは、ほんとうに瞑想状態になります。深く、静かな心の泉にまで潜っていって、無意識という膨大な海の中からイメージがピックされ、具現化されてゆく……。それは自分の小さな手先がしっかりと宇宙と結ばれてゆく、とてもクリエイティブな瞬間です。
micosundari: この仕事は、綾さんにとっても、再び、ご自分の魂と繋がるための救いの道だったのですね。
綾: 自分の名前に糸偏がついているのも、編み人としてのひとつの徴(しるし)なのかな、と。石との出逢いは、わたしを絵画という平面の世界から、より立体的で、制限のない自由な空間創造の世界へと導いてくれました。
micosundari: お客さまからのオーダーにはどのように応えていますか?
綾: 具体的なイメージやデザインの希望がある場合はもちろん、たとえば、そのかたの好きな風景をうかがって、そこから世界観をふくらませることも。石そのものの響きを聴きながら、持つ人のエネルギー、イメージを結いあわせるように。その人が自然体の自分を愛し、ありのままのスピリットが輝くよう、祈りながら編んでいきます。
micosundari: お話をおうかがいしていると、Sernya(自由な魚)の名の通り、とても心地のよい循環の中でワークをされているのが伝わってきます。誰もがこんなふうに自由に生活をクリエイトできたらすばらしいでしょうね。
綾: それは可能だと思います。誰でも、好きなことに心から向きあって、夢中になっている瞬間というのは、メディテーショナル(瞑想的)になっているはず。
micosundari: あまりにもシステマティックにオーガナイズされた世の中で、多くの人は、「こうでなくてはならない」「ふつうはこうでしょう」といった自分以外の誰かが作った規制概念や職業、役割の型に自分を当てはめようと必死になっている気がします。でも、綾さんの道、クリスタル作家の道は日本一の芸術大学の受験科目の中にすら存在しなかったわけで(笑)。
綾: ほんとうに! それぞれの人が自分の魂とつながる独特の方法を持っているのだと想います。ある人にとっては、それが料理であったり、土に触れ、植物を育むことであったり、歌うこと、音楽を奏でることであったり、子どもを育てることであったり。例えば、小さなクリスタルの結晶の中に地球の歴史、エネルギーが詰まっているように、わたしたちのハートの内には、外側の目に見える世界よりももっと、もっと大きく、深淵な宇宙が広がっているのですから。
※ セルニャとは、チベット密教八吉祥のシンボルの一つ、双子の金魚の愛称。“世俗の海から精神的に解き放たれる”の意。
今回のゲスト: 日高綾(Sernya)
クリスタル作家・マクラメジュエリーアーティスト
2002年「Sernya セルニャ*」としての活動を開始。2006年、インド・ネパールの旅の道中、ガネーシュ・ヒマール産、ヒマラヤ水晶と出逢い、その力強く、純粋なエネルギーに魅了され、クリスタルをトップに仕立てた作品を発表しはじめる。定期的に聖地に赴き、一粒一粒、自らセレクトした石たちを肌に馴染むペンダントに。アースデイ等のイベント出店や展示会出展のほか、アクセサリー創りのワークショップなども開催。聖なる地球の雫をペンダントとして人々の胸に還元することで、身につける人が自身の自然体を愛し、ありのままにスピリットが輝くよう祈りとともに作品を制作し続ける。
WEB│ http://sernya.com/
micosundari
これまでにライターとして、月刊誌や書籍にて、代替医療、ヨガ、レイキ、音楽療法、星占術等のテーマを数多く担当。医療関係者や療法家、学者、芸能人など数多くの著名人に取材・インタビューを重ねる。
現在は、多岐にわたる取材経験をもとに、全国でバクティヨガ、ナダヨガ(音ヨガ)、歌うヨガと呼ばれるキルタンのワークショップ&リトリートを展開。「文」と「声」2つのフォースを通して、ホリスティックな視点から、エンライトメント・ヒーリングメソッドをシェアし続けている。この「両の手」「声」「身体」「魂」のすべてがいつでも純粋なバクティ(愛)の体現としてこの世界、あなたのハートの内に還元されますよう。